2014年04月01日

"VOFR" 1988年、地下FM局のジングル

さて今度はかなり古いトラックをサウンドクラウドにアップしました。1988年11月、まさに昭和末期録音の"VOFR"という曲。当時やっていた地下FM放送局Voice of mini FM Revolutionのジングル。この放送局、半径数kmくらいをサービスエリアとしてカバー(受信側が高性能ならもっと)していました。私は幼少のころから放送局をやることが夢で、最初のうちはFMワイアレスマイクで放送ごっこ、って感じでしたが、次第にエスカレートして10代後半には自作ハイパワー送信機を作りアンテナもそれなりのものを立てて少々本格的(もちろんイリーガル)な放送局を開局してしまいました。80年代後半から90年代初頭にかけて不定期にやっていたのですが、当時住んでいた杉並は時期的に過激派により町内放送塔が電波ジャックされる事件や、オウム真理教がはびこったりという状況で、当局も監視を強化してたのでは?と思います。 が、とっつかまらず済みました。今考えると、ひ汗もんですが、気が付かなかったのか、、いや、なんだガキの火遊びか、、、と相手にしなかったのかもしれませんね。一方、当時私と似たように地下FM局をやっている友人がいましたし、他にも知らない人が地下FM局をやっている人がいました。そんな知らない人とうまくコンタクトとって会合し送信機の回路図を頂いたり、、、そんなこともちょっぴりヤバい思い出です。

その後、96年になると合法な音楽発信メディアとしてインターネットに飛びつくわけですが、いまや映像まで、しかもハイビジョンで発信できるようになるとは。当時思いもしませんでしたし、映像までやるのは自分には荷が重いと思ってたのですが、このブログや私のYoutubeをご覧のとおりここ5年ほどは映像製作(といっても殆どやはり音楽ものですが)にもかなり填まっています。

posted by 尾上祐一 at 12:54| 音源1980年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月02日

Kaeru no Gassyo

本日お届けしますは、遡って1985年の作品。Kaeru no Gassyou



高校生らしい、身も蓋もないタイトルな1985年の9月か10月頃の作品。作曲は、ほんと手探りでやってた。元来僕は、誰かさんのコピーをするのは苦手で、だからある程度のところまでマネっこするも、それ以上は無理があることばかり。だからそこから先は、強引に改変して多少ダサくてもそれなりの形する方向へ。が、それは逆に作曲へのチャンスでしたね(というか未だにそうかも。だから純粋にプレイヤーとしてはずっと2流ですが、、)。とにかく“自分の曲"(というかもっと言うと自分のレコード)ってのを作りたかったし、自分にとって新しい音階、和音、サウンドをモノに出来たら、それを直ぐにでも録音作品にしてみたかった、というのはありました。

録音は、カセットテープデッキ2台(うち1台は拾い物)と自作ミキサーによるピンポン録音によるもの。1985年というと高校入学した年で貯金+お祝い金で念願のROLAND JUNO106シンセとKORGのDDM110ドラムマシンを購入。それらが遊びこなれてきたころの楽曲といえるかと思います。コレ以前の楽曲では、こういうのもあるんだけど、今日紹介の曲では、まぁ機材も良くなったこともあってかある程度の進歩は感じられますか。4〜5回オーバーダブで、まだMTRを使ってないためパンチイン/アウトの類はできず、ひたすら重ね録りしてゆく様は中々緊張感にあふれてました。尤もミストーンも結構ありますが。それと前年より始めたエレキギターもちょっと入ってますが、「初歩のラジオ」誌に載ってた回路を参考に自作したオートワウがかかってて文字通りカエルの合唱してる。

シンセだのドラムマシンだの当時の高校生のとしては中々贅沢してますが、小物は自作したり、或いは捨ててある機材を拾ってきて極力リーズナブルに済ませる努力はしてたと思います(^_^;)。
posted by 尾上祐一 at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 音源1980年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月22日

へヴィメタル

今日紹介するのは、今から丁度20年前の作品「へヴィメタル」。



この曲の録音は、1988年の2月で大学受験の数日前。僕は宅録を82、3年くらいからラジカセ2台のピンポン録音による方法でスタートしてますが、この88年頃はフォステックス社のX-15という4chのカセットMTRを使い込んでいた時代。当時通っていた高校は、へヴィメタル派かフュージョン派に分かれてまして、皆さんライトハンドだのチョッパーだのとてもお上手でしたが、僕はダサくてもオリジナル曲をやることに執着していたので完全に宅録一人上手にのめり込み、周りからは浮いておりました。それでもメタルな人達とはちょっとした付き合いがあり、彼らからの影響、彼らへのオマージュ、リスペクト、周りから浮いている自分へのイラダチ、そして大学受験前の開き直り、が渾然一体となり、この曲が頭の中で鳴り響き、製作開始から完成まで6時間程度のハイスピードで完成。そんなインスタントな曲だけど、その割りに過去、何かにつけリバイバルしたことのある曲でもあります。

翌89年、昭和から平成となり、宅録マテリアルがこの曲を含め13曲程度、それなりに溜まったのでユニット名Pure Gold Family Bonds(写真左、当時の尾上とジャケット絵描きのPH松園)名義で「平成の改新」(画像中央)というカセットアルバムにして、新宿にあるUK EDISONで400円で販売。破格値自主制作カセット作品集の先駆けと勝手に自負してますが、ほんとに安かったこともあってか、そのお店だけで、50本、トータル100本くらい売れました。これは売れたことよりカセットをシコシコ複製したことのほうが凄いかもですな。

PGFB 平成の改新ジャケ YamahaTape.jpg

そして更に録音から4年後の92年、ヤマハテープサウンドコンテストという宅録作品のコンテストにこの曲で応募し東京地区1500作品の中から全国大会進出作品として選ばれます(画像右参照)。しかしそこで落選。ちなみにこの曲を聴いた全国大会審査員は、鳥塚しげき(ワイルドワンズ、NHKワンツーどんのお兄さん)、向谷実(カシオペア)、松武秀樹(YMOマニピュレータ)の各先生方だったそうです。なかなかいいオチです。

しかし、このコンテストには更なるオチがあります。2005年の秋に僕が開いた「現代音楽家・寺内大輔氏と即興演奏会」の報告を日記アップしたところ小西徹郎さんという方が、現代音楽家の寺内氏のことを知っているということで書き込み頂きました。小西さんは、作曲やトランペットの演奏を中心に僕同様に東京のアンダーグラウンドシーンで活動されてる方で、人脈的にも近いところに居たので「相変わらずこの世界は狭いですねぇ」なんて話していたわけですが、なんと小西さんもこの92年のヤマハテープコンテストに東京地区より応募し全国大会選抜まで行ったそうなのです。書類を見ると確かに僕と一緒に名を連ねているではないですか!(画像右参照)。そして嬉しいことに、その曲「白い霧の彼方へ・・・」は小西さんの曲登録サイトで聴くことが出来ます。トランペットの音色が素晴らしく、標題通りイメージが湧く曲。流石クオリティ高いです。また小西さんもずっと宅録を続けておられるようで、同サイトでは興味深い作品が色々聴けます。

92年当時は結局この結果のみで、コンテストを切欠にした交流は無かったし、受賞者の曲を聴くことすら無かったのですが、今、こうして小西さんの曲を聴けること、そして小西さんが自分に近い所で活動をされていることを思うと実に感慨深いです。

ちょっとしたことでも積み重ねは何かの切欠になる。思い立ったらなんでもやっておくものですね。
posted by 尾上祐一 at 20:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 音源1980年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

東京エレクトリック・アホウドリ

今回は、僕の曲の中でも最古の部類に入る1983年の曲"東京エレクトリックアホウドリ"をご紹介。



中学二年のときの録音かぁ・・・。
僕が楽器を始めたのは小4なので1979年のことだったと思います。まずはフォークギター教則レコードをお供に、自宅にあったオンボロ・クラシック・ギターで弾くことを始めたのですが、その後、短波ラジオやラジカセ遊び、そしてアマチュア無線も並行して始め、80年代に入ってからは当時一世を風靡したヤマハのポータブルキーボード"ポータサウンド"にも填まりました。
ポータサウンドは、いくつかのプリセット音色とリズム、そしてコード伴奏を内蔵したもので、カシオトーンとならんで安価かつ手軽で、電子楽器を非常に多くの人に浸透させたマシンです。 この1983年位になると僕は、ギター+ポータサウンドPS-3+自作シンセドラムとラジカセ2台のピンポン録音による多重録音をしていたのですが、そんななかできた作品がこの曲でした(この曲ではギターは入ってませんが)。ここで聴けるブンチャカ、ブンチャカってなリズム&コード伴奏はポータサウンドならではですね。ちなみにシンセドラムは、自作のものでして、これは当時出ていた電子工作ものの雑誌「初歩のラジオ」の1983年の何月号かに載っていた製作記事をそのまま作り、早速、曲に使ってみようじゃないのって感じで使われたものです。既製品のシンドラはポーンと丸いスマートな音が多いですが、この自作シンドラは倍音が多く含まれた実に洗練度の低い音で、中学生ながら大いに不満を感じたものでした(今となっては逆に味かもですが)。また曲を今聴いてみると、どうもYMOのシチズン・オブ・サイエンスみたいなシンドラを目指してしていたようです(ワラ)。それとまだこの頃は、MTRの存在を知らず、どうやったらHi-Fiな多重録音ができるかを手探りでやってたことも思い出します。(MTRは86年に購入となりました)
また、当時私はこの一人多重録音プロジェクトを「東京エレクトリックアホウドリ」という名義でやってました。これは考えてみりゃエイフェックスツインとかと同じですね(笑)。
あと写真のラジカセは、ピンポン録音に使ったラジカセ、ソニーCF1700です。
PortaSound.jpg

初歩のラジオ 1983年8月号.jpg

初歩のラジオ 1983年8月号-ドラム シンセサイザー.jpg

CF1700.jpg
posted by 尾上祐一 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 音源1980年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする